ミッシェル グロ / オート コート ド ニュイ ルージュ フォンテーヌ サン マルタン モノ ポール 2019 (フランス/ブルゴーニュ)

FRR0037019
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ミッシェル グロ / オート コート ド ニュイ ルージュ フォンテーヌ サン マルタン モノ ポール 2019(赤)

(FRR0037019)

VT:2019

生産国:フランス

生産地:ブルゴーニュ

葡萄品種:ピノ ノワール100

コメント【商品説明】:

おいしくって感動。

「あれ?ミッシェルの方もやるの?」って方いたらするどいなってくらい、個人的にあんまり積極的では無かった造り手、ミッシェル グロ。美味しい美味しくないというよりは、何度も何度も試しても「当たり」に当たらなかったんですよね。評価も人気も高いのはわかっていても、自分がのんで美味しいと思えなければおすすめは出来ないなって。

でも、きっとそんな偉そうな気持ちで向き合ってるから、ワインの方から敬遠されていたのかも知れませんよね。ほら、妖精さんが住んでるお酒ですから。

先日、久しぶりに色々なミッシェル グロを並べて飲む機会がありまして、その中で赤白一本ずつ、これは凄くいいなって思ったので、仕入れてみました。今更初めてのミッシェル グロ。

どうやら、2019年から息子さんのピエール グロが正式に引き継いでいるそうで、そんなことも関係してるのかもですが、他のキュヴェで初めて造る村名とかあったのですが、ブレタノマイセス出ちゃってたりして「あれ、ピエールさんそっち系?」と不安になりながらも、美味しいと思った物だけ分けてもらったのでした。

ピノは、過去に僕が飲んだミッシェル グロの中では一番綺麗に細く、艶やかな香りが上がってました。今これなら、数年先も安泰だなという安定感のある風格。

って事はですよ、今までのミッシェル グロが大好きな方にとっては「これじゃない」って言われてしまう可能性ありますよね。それ位、ちょっとびっくりしたのでした。おすすめです。

 

以下、輸入元コメントです。

Domaine Michel Gros

ミッシェル・グロ氏は、ブルゴーニュ伝説の造り手”ジャン・グロ”の長兄にして、 ドメーヌと多くの畑を引き継いだ人物。
父(ジャン)は1995年を最後に正式に引退し、所有していた畑は分割して相続され ました。相続によって、ジャン・グロのフラッグシップだった”特級・リッシュブール” の畑は妹のアンヌ=フランソワーズが相続し、現在ではドメーヌ・A・F・グロのワイン としてリリースされています。

ドメーヌ・ジャン・グロは、1970年代より、ジャンの妻メリーと、ミッシェルが実質的な 責任者として運営されており、ジャン・グロの名声や、ワインへの賞賛は、そのまま、 ミッシェルへの評価といっても過言ではないでしょう。

●グロ一家の歴史

グロ一家の歴史はニュイ・サンジョルジュの町から2キロほど離れたニュイの丘の上にあるショーと いう小さな村で1804年に生まれたアルフォンス・グロから始まる。
彼がラトゥール家のお嬢さんと結婚して、1830年にトゥルーヴ家所有の家宅を買い取って、ヴォー ヌの村に住み着いた。この家宅に、シトー修道院長であったドン・トゥルーヴ神父が1789年のフラン ス革命の間に亡命した。

ジャン・グロは現在コミューヌ通り3番地にある家宅の一部に住んでいる。
アルフォンスの息子のルイー・ギュスターヴはゲノー家のお嬢さんと結婚して、アルフォンスの後を 継いだ。コート・ドール県で、ワインを直接に個人客にはじめて販売した葡萄栽培業者の一人である。

1868年11月のパンフレットによると、1858年のクロ・デ・レアは一本につき5.00フランで、1861年と 1862年のは3.50フランで1864年のは2.50フランで、この料金は最小量25本で、ヴージョ、または ニュイの駅までの配達料込みになっている。
同じパンフレットでは1868年のワインが優れたものになる だろうと予言して、ワインの愛好家に十分に購入しておくようにと勧めている。
リッシュブールの2ヘクタールの畑を1882年に購入したのもルイー・ギュスターヴである。

三代目のジュール・グローはルノド家のお嬢さんと結婚した。
ジュールの息子は2人とも第一次世界 大戦に行ったが、一人死んで、もう一人のルイーは重傷を負って帰ってきた。 1920年レオンス・ボケ氏 の財産の競売のとき、ジュールは息子ルイーのためにクロ・ヴージョの区画を2カ所購入した。
ジュールは数年後にグラン・エシェゾーを購入して、レ・ロアショースという3ヘクタールの区画の 再構成に一生を捧げた。ルイー・グロは1951年に亡くなった。

1963年まで4人の子供は共同経営を続けた後、ドメーヌを分け合った。ギュスターヴとコレットは一緒に なってドメーヌ・グロ・フレールスールを構成した。このドメーヌは現在ギュスターヴとコレットの甥で ミシェルの弟であるベルナール・グロが経営している。

ジャンとフランソワはまずグロ・ペールフィス社を共同で経営して、1973年に分かれて別々の会社を 設立した。

ジャン・グロは元々クロ・デ・レアとリシュブール0.5ヘクタールの区画とヴォーヌ・ロマネ0.5ヘク タールの区画を含む4ヘクタールの葡萄園を相続した。葡萄園を購入したり、区画整理を行ったり、 そして特にヴォーヌ・ロマネ、ニュイ・サンジョルジュ、ブルゴーニュ、アルスナン村のオート・コート ・ド・ニュイの耕作していない土地を開墾したりして、ドメーヌを大きく拡張しました。
ジャン・グロは独創的で革新的な人柄でヴォーヌ村のレアの谷間やニュイの丘の上に現在も多く残って いる高くて広い葡萄の樹からなる葡萄園を積極的に促進しました。また、色々な新しい設備や方法の開発 や適用にも貢献しました。

Bourgogne Hautes Cotes de Nuits Fontaine Saint Martin Rouge

ドメーヌ・ミシェル・グロの2番目のモノポール
私の父ジャン・グロと、私自身が40年の月日をかけて造り上げた一つの区画、それがオート・コートのアルスナン村にあるフォンテーヌ・サン・マルタンです。
コート・ド・ニュイに見られるような東南東向きの斜面、標高350~390メートルの間に、この7ヘクタールのブドウ畑が段々状に連なっています。眼下に小谷とリュー=デュー・デ・シャン(Lieu-Dieu des Champs:神が宿る畑の意)シトー修道院を眺めることができ、シスターたちによって経営されていたこの古い尼僧院は、約800年前に創設されたとされ、この丘にブドウ畑を所有していました。19世紀末のフィロキセラ禍によってブドウ畑が壊滅して以来、その畑の大部分は再び森で覆われていました。
1976年に父ジャンが森の開拓に着手し、続いて私が畑の再建に取り掛かり、1981~86年にかけて4ヘクタールの畑にピノ・ノワールを植栽しました。87年から残りの3ヘクタールにシャルドネを植え始め、2007年に購入した最後の1ヘクタールを2009年に植え替えたとき、この畑全域の再統合を果たし、植栽作業を完了しました。
この畑に見られるのは、ジュラ紀オックスフォーディアン後期の石灰とマールが混ざった土壌です。同じ地層が5キロメートル南のコルトンの丘にも見られ、丘麓に位置するペルナン・ヴェルジュレス村の名に因んで一般に《ペルナンのマール》と呼ばれています。

 

輸入元:オルヴォー

↓より詳しい商品説明に関しましては、輸入元HPをご覧下さい

https://www.orveaux.co.jp/maker-list/domaine-michel-gros/

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