フーレ ルーミエ ド フォセ / サン ロマン 2018 (フランス/ブルゴーニュ)
フーレ ルーミエ ド フォセ / サン ロマン 2018(白)
VT:2018
生産国:フランス
生産地:ブルゴーニュ
葡萄品種:シャルドネ100
コメント【商品説明】:
誰がなんと言おうともルーミエです。
ただ、これをジョルジュ ルーミエのワインと比較すると言うのは非常にナンセンス。しかし将来的な話をすれば、ジョルジュ ルーミエの当主、クリストフは後継ぎがいないと言う事もありますし、ひょっとするとひょっとしてなんて事が起こっちゃったりなんかしちゃったりして。なんて事を考えてみれば、今の段階から追っかけておいても良いのではないでしょうか。
パッと見れば、ドニ ルーミエのDNAがやはり先頭に立ってインパクトになりますが、あとの二人の方がワイン的にはむしろポジティヴだったりします。
創業当時、ドメーヌ マトロが醸造長を務めるガエル フーレのサポートをしていたのは我が心のカリスマ、マトロ ウイッターシェイム女子。彼女の造っていたムルソー ブラニー プルミエ クリュの、透き通る様でいて現れては消えてゆく要素の非常に多い傑作は、15年以上経った今でも僕の頭から印象が消える事はありません。
ブルーノ・マチュー・ド・フォセに関しても、最近やっと取り扱いを始める事が出来た、ダヴィド デュバンの栽培長ですからね。なんとまあ豪華な顔ぶれなんでしょうかってお話しです。
以下、輸入元コメントです。
Fouré-Roumier-de Fossey
ワインの試飲会でいつも顔を合わせていた3人が仲良くなり、やがて意気投合して、小さなネゴシアンを立ち上げました。
★ ガエル・フーレ・・・ムルソーの名門「ドメーヌ・マトロ」の醸造長。
★ ドニ・ルーミエ・・・ジョルジュ・ルーミエ氏の5人の息子のひとり、ポール・ルーミエの息子。
★ ブルーノ・マチュー・ド・フォセ・・・「ダヴィッド・デュバン」の栽培長。
3人は2006年、「自分たちが心から美味しいと思えるワインを造るために」、それぞれの名字をとって、メゾン「フーレ・ルーミエ・ド・フォセ」を設立しました。
(ちなみに創業当時、彼らを応援し、物心両面において支えたのが「マトロ・ウィッターシェイム」のマダム・ルッセルで、「ドメーヌ・マトロ」の関係者として古くからガエル・フーレと知り合いだった女史は、「メゾン・ルロワ」も一部ビン買いした彼女の作品の2005年ヴィンテージなどを、積極的にシュル・ピル(ビン買い)で融通して創業資金に充てさせたり、また、2007年春にドメーヌを閉める決断をした際には、カーヴの一部を彼らに貸与しました。今日も「フーレ・ルーミエ・ド・フォセ」は、ムルソー村の元「マトロ・ウィッターシェイム」のカーヴでワインを造っています)。
ポール・ルーミエ――1990年代初頭まで、コート・ド・ニュイのクルティエ界に君臨した伝説のクルティエ――は、ルーミエ家の「シャンボール・ミュジニー・プルミエ・クリュ・レ・ザムルーズ」の全所有面積の継承者としても知られます(現在はご存じの通り「ドメーヌ・ジョルジュ・ルーミエ」に貸与しています)。
「父からワインの話ばかり聞かされて育ちましたが、成年した当時は興味が持てず、別の道を選びました」というドニ・ルーミエは、学問に打ち込んで最高学府を卒業した後、エンジニアとなり、今日も、ドイツの名門自動車部品メーカーのフランス支社に勤務しています。しかし・・・「血」なのでしょうか。ワインの話をする時の彼の迫力、その知見や情熱は、まるで偉大なヴィニュロンを彷彿とさせるほどです。
現在、白ワインはムー(ぶどう果汁)で、赤ワインは一次発酵後のワインをバルクで購入して自家醸造しています。「よほどのものが見つかった場合は」シュル・ピル購入も行います。
3人は共同でメゾンを運営していますが、フーレが醸造、ルーミエが試飲と広報、ド・フォセがバルクワインの買付けという風に役割分担されています。
「まずはメゾンを軌道に乗せ、会社を辞めてこのメゾン一本で生活できるようにすることが夢です。そして、畑を購入し、あるいは相続できる時が来るかもしれませんが、僕たち自身のワインを造っていきたいです」(ドニ・ルーミエ)。「その時が、栽培担当者としての僕の本当の出番です」(ブルーノ・マチュー・ド・フォセ)。
※詳しい情報は輸入元のHPをご覧ください。